静岡県の山奥に、その集落はひっそりと佇んでいた。人家はわずか十数軒。深い森に囲まれ、昼なお暗い場所だった。今から20年ほど前、私は大学の民俗学研究の一環で、この地域の風習を取材するために足を踏み入れた。当時、私はまだ若く、未知のものへの好奇心が恐怖を上回っていた。
最初に異変を感じたのは、集落に近づくにつれて携帯の電波が完全に途切れたことだ。山間部では珍しくないとはいえ、不気味な静けさが辺りを支配していた。鳥の声すら聞こえない。案内役の老人が「この先はあまり人が来ない」とぼそりと呟いたのを覚えている。彼の目はどこか遠くを見ているようで、表情には微かな怯えが浮かんでいた。
集落に着いたのは夕暮れ時だった。木造の家々が朽ちかけ、苔むした石垣が並ぶ。住民たちは私の存在に気付くと、じっとこちらを見つめてきた。その視線は好奇心というより、警戒と敵意に満ちているように感じられた。案内役の老人は私を一軒の家に案内し、「ここで話を聞ける」とだけ言って去っていった。
家の中では、老婆が一人、囲炉裏の前に座っていた。彼女は私の質問に淡々と答えながらも、時折奇妙な笑みを浮かべていた。特に印象的だったのは、集落に伝わる「山の神の祟り」についての話だ。昔、この地で山の神を怒らせた者がいて、それ以来、不思議な出来事が続いているという。「祟られた者は必ず山に呼ばれ、二度と戻らない」と彼女は語った。その口調はまるで呪文のようで、私の背筋に冷たいものが走った。
その夜、私は集落の外れにある小さな宿に泊まることになった。部屋は古びた畳敷きで、壁には湿気が染み込んでいた。窓の外からは、森のざわめきが微かに聞こえてくる。疲れていた私はすぐに眠りに落ちたが、深夜に奇妙な音で目を覚ました。カタカタと、何かが窓を叩いているような音だ。目を凝らすと、窓の外に人影が立っていた。暗闇の中、その輪郭だけがぼんやりと浮かんでいる。恐怖で体が硬直した瞬間、人影はスッと消えた。
翌朝、宿の主にその話をすると、彼は顔を強張らせ、「それは山の神の使いだ。見られたら終わりだよ」と囁いた。私は冗談だと思い、笑いものにしようとしたが、彼の目には本物の恐怖が宿っていた。その日から、私の周囲で異変が起こり始めた。どこへ行っても、背後に誰かの視線を感じるようになった。夜になると、遠くから低い唸り声が聞こえてくる。夢の中では、暗い森を彷徨い、誰かに追い詰められる場面が繰り返された。
取材を終え、集落を後にした後も、その感覚は消えなかった。都会に戻った私は、何かから逃れるように研究に没頭した。しかし、ある日、大学の研究室で古い資料を整理していると、一枚の写真が目に留まった。それは私が訪れた集落の風景だった。写真の隅に、ぼんやりとした人影が写り込んでいる。よく見ると、それはあの夜、窓の外に立っていた影と同じ姿だった。
それ以降、私は集落のことを誰にも話さなくなった。だが、心の奥底では確信していた。あの山間の集落で、私は何かを取り憑かれたのだ。時折、鏡に映る自分の姿が一瞬、見知らぬ誰かに変わるような錯覚に襲われる。背後で物音がすれば、振り返るのが怖くて仕方ない。そして何より恐ろしいのは、毎年同じ時期になると、山の奥深くから私を呼ぶ声が聞こえてくることだ。
今でも思う。あの老婆の笑みは、私を呪うためのものだったのではないか。あの集落自体が、訪れる者を絡め取る罠だったのではないか。もし、あの時、山の神の祟りについて深く詮索しなければ、私はこんな目に遭わなかったのだろうか。だが、もう遅い。私はあの呪いから逃れられないことを、薄々感じている。
最近、夢の中で見る森が現実のように鮮明になってきた。そこにはいつも、あの人影が立っている。そして昨夜、私は初めてその顔を見た。目が合った瞬間、全身が凍りついた。それは紛れもなく、私自身の顔だった。