朽ちた鳥居の向こう側

心霊現象

山間の小さな集落に引っ越してきたのは、今から数十年前の秋のことだった。

その集落は、深い森に囲まれ、霧が立ち込める日が多い場所だった。家々は古びており、住民たちは口数が少なく、どこかよそ者を警戒しているような雰囲気を感じた。特に、私が借りた家の裏手にある森へと続く細い道には、古びた鳥居が立っていて、その先は薄暗い木々の間へと消えている。引っ越しの挨拶回りで近所を訪ねた際、年配の女性がその鳥居を指して、「あそこには近づかない方がいい」とだけ呟いたのが印象に残っていた。

最初の数日は、荷解きや新しい生活に慣れるのに忙しく、鳥居のことなど頭に浮かばなかった。だが、ある晩、眠れない夜を迎えた。窓の外からは、虫の声だけが響き、静寂が逆に耳に刺さるようだった。ふと目をやると、カーテンの隙間から裏手の森が見えた。その時、鳥居のあたりにぼんやりとした白い影が立っているのが見えた気がした。目を凝らすと、それは一瞬で消え、ただの錯覚だったのかと自分を納得させた。

翌朝、近所に住む老人が野菜を届けてくれた。彼は親しげに話しかけてきたが、私が何気なく鳥居のことを尋ねると、表情が一変した。「あそこは昔、神隠しがあった場所だよ。子供たちが消えてね、二度と戻ってこなかった」とだけ言い、慌てたように去ってしまった。気味が悪くなりつつも、好奇心が抑えきれず、その日の夕方、私は鳥居の近くまで行ってみることにした。

鳥居は苔むし、木の表面は朽ちてひび割れていた。そこから森の中へ続く道は、落ち葉に埋もれ、ほとんど踏み跡がない。少し進むと、空気が急に冷たくなり、背中に嫌な汗が滲んだ。何か見られているような感覚がして振り返ると、鳥居の向こう側に白い着物を着た女が立っていた。顔は見えないが、長い髪が風もないのに揺れている。恐怖で足がすくみ、その場に立ち尽くした瞬間、彼女がこちらに一歩踏み出した。慌てて踵を返し、家まで走って逃げ帰った。

それ以降、毎晩のように奇妙なことが起こり始めた。夜中になると、家の外から誰かが歩くような足音が聞こえる。窓を叩く音がしたり、時には小さな子供の笑い声が遠くから響いてきたりした。ある夜、意を決して懐中電灯を持って外に出てみると、足音の主は一向に見つからない。だが、鳥居の方を見た瞬間、複数の白い影がゆらゆらと揺れているのが見えた。それはまるで、私を誘うように動いているようだった。

数日後、集落で唯一の小さな神社を訪ねた。そこに住む神主らしい老人に、これまでの出来事を打ち明けると、彼は重い口を開いた。「あの鳥居は、昔、禁じられた儀式が行われた場所だ。村人が神を怒らせ、その祟りで子供たちが連れ去られたって話さ。今でもそこに近づく者は、魂を奪われるって言われてる」。彼は私に塩を渡し、「家にまいておけ」とだけ言った。

その夜、私は言われた通り家の周りに塩をまいた。すると、足音や窓を叩く音はぴたりと止んだ。しかし、安心したのも束の間、夜中に目が覚めると、枕元に白い着物の女が立っていた。顔は見えず、ただ黒い髪が垂れ下がっている。叫び声を上げて飛び起きると、女は消えていたが、部屋には湿った土の匂いが残っていた。次の日、私は荷物をまとめ、その集落を後にした。

後で知ったことだが、私が住んでいた家は、かつて神隠しにあった子供たちの家族が住んでいた場所だったらしい。あの鳥居の向こう側には、何かがまだ潜んでいる。私は二度とあの集落には近づかないと心に誓った。

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