それは、湿った風が山間を抜ける夜だった。
長崎の山奥にひっそりと佇む集落。そこに住む老人たちは、夜が更けると決まって戸を固く閉ざし、灯りを最小限に抑えた。子供の頃、祖母から聞かされた言い伝えが今でも耳に残っている。「夜に鳴くものは、決して人の声じゃない。あれを聞いたら目を閉じて、息を殺すんだよ」。その言葉が現実になるとは、この時まで想像もしていなかった。
数十年前、私がまだ中学生だった頃だ。夏休みを利用して、母の実家であるその集落に遊びに来ていた。昼間は川で魚を追いかけ、夕暮れには縁側でスイカをかじりながら蝉の声を聞く。そんな穏やかな日々が続くと思っていた。だが、ある夜、異変が訪れた。
その日は昼から空が重たく、遠くで雷鳴が響いていた。夕食後、母と叔母が台所で話し込んでいた時、突然、外から奇妙な音が聞こえてきた。最初は風に揺れる木々のざわめきかと思ったが、次第にそれが異なる音だと気づいた。低い唸り声のような、しかしどこか人間の声を思わせる不気味な響き。母が顔を上げ、「あれだね」と叔母に囁いた。叔母は無言で頷き、私に「二階へ行きなさい」とだけ言った。
私は言われるがままに階段を上がり、母の実家で使われていない部屋に身を潜めた。そこは古いタンスと埃っぽい畳があるだけの部屋で、窓からは裏山の黒々とした木々が覗いていた。音はまだ続いている。遠くで鳴いているのか、それともすぐ近くなのか、距離感がつかめない。私は祖母の言葉を思い出し、目を閉じて布団に潜り込んだ。だが、好奇心が勝ってしまった。そっと窓に近づき、隙間から外を覗いた。
月明かりに照らされた裏山の斜面に、何かが動いている。最初は獣かと思った。だが、その動きはあまりにも不自然で、時折二本脚で立ち上がる姿が見えた。影は一つではなく、複数だ。まるで群れのように山肌を這い回り、時折こちらを向く。そのたびに、低い唸り声が風に乗って届いた。私は恐怖で息が詰まりそうになりながらも目を離せなかった。すると、影の一つがこちらを向いた瞬間、目が合った気がした。真っ黒な顔に、白く光る二つの点。目だ。確信した瞬間、全身が凍りついた。
慌てて窓から離れ、布団に潜り込んで震えた。どれだけの時間が経ったのかわからない。音は少しずつ遠ざかり、やがて静寂が戻ってきた。だが、その夜は一睡もできなかった。翌朝、母に昨夜のことを話すと、彼女はただ黙って私の頭を撫でただけだった。叔母は「山のものには関わらないのが一番だよ」とだけ言い、それ以上は何も語らなかった。
それから数日後、集落の古老が家を訪ねてきた。彼は私の顔を見るなり、「お前、あの夜に何か見たのか」と尋ねてきた。私は震えながら頷くと、彼は深いため息をついた。「あれは昔からこの山に棲むものだ。人が近づかなければ害はないが、見てしまったものは運が悪い。気をつけな」。その言葉に、私は背筋が冷たくなった。
古老によると、数十年前、この集落で似たような体験をした者が何人もいたという。戦後の混乱期、ある男が山で薪を集めていた時、似たような影の群れに遭遇した。男は恐怖のあまり逃げ出し、帰宅後は高熱にうなされ、数日後に息を引き取った。また別の年には、夜道を歩いていた女が同じような唸り声を聞き、その後、家の周りで不気味な足音が響くようになった。彼女は正気を失い、やがて姿を消したという。古老は「あれは人の形を借りた何かだ。決して近づくな」と警告した。
それ以来、私はあの集落に近づくのを避けるようになった。だが、あの夜の記憶は今でも鮮明に残っている。影の群れが山を這う姿、白く光る目、低い唸り声。時折、夢の中であの音を聞き、飛び起きることがある。そのたびに思う。あの時、私を見つけた影は、本当に私を見ていたのだろうかと。
数年前、母が亡くなった後、遺品を整理していると、古い手紙が出てきた。それは祖母が母に宛てたもので、集落での生活について綴られていた。そこにはこんな一文があった。「山のものは夜に鳴く。あの子には決して近づかせないで」。祖母が私を守ろうとしていたことがわかり、胸が締め付けられた。同時に、あの影の群れが何だったのか、ますますわからなくなった。
今でも、長崎の山奥を通る時、窓の外をじっと見つめてしまう癖が抜けない。あの音が再び聞こえてきたらどうしようかと、いつも心のどこかで怯えている。あの夜、私は確かに何かを見てしまった。そして、それは今もどこかで私を待っているような気がしてならない。
湿った風が吹く夜、山の奥から聞こえるかすかな唸り声。あれはただの風の音だと、自分に言い聞かせながら。