私は山形県の田舎町に住む会社員だ。普段は車で通勤しているが、その日は残業で遅くなり、終電を逃してしまった。仕方なく、駅から自宅まで約40分歩くことにした。時計はすでに23時を回っていた。
夜の田舎道は静かで、街灯もまばらだ。冷たい風が木々を揺らし、時折フクロウの鳴き声が響く。私はイヤホンを耳に差し込んで音楽を流し、少しでも気を紛らわせようとした。道の両側には田んぼが広がり、遠くに山のシルエットが見える。普段なら何とも思わない景色だが、この夜は妙に不気味に感じられた。
歩き始めて15分ほど経った頃だろうか。イヤホン越しに、かすかな音が聞こえた気がした。音楽を止め、耳を澄ます。すると、背後から「カサッ、カサッ」という枯れ草を踏むような音が聞こえてくる。振り返ったが、誰もいない。街灯の光が届かない暗闇が広がるだけだ。「風のせいか」と自分を納得させ、再び歩き出した。
だが、それから数分後、今度ははっきりと足音が近づいてきた。「タッ、タッ、タッ」。軽快で、まるで子供が走ってくるようなリズムだ。私は立ち止まり、再び振り返った。すると、遠くの暗闇に赤い光が二つ、チラチラと揺れているのが見えた。目を凝らすと、それは人の目の高さより低い位置にあった。動物だろうか? だが、こんな時間に野良犬や猫がこんな場所をうろつくとは思えない。
心臓がドクドクと鳴り始めた。私は早足で歩き出したが、足音はさらに近づいてくる。「タッ、タッ、タッ」。そのリズムは一定で、まるで私を追いかけるように執拗だ。振り返る勇気はもうなかった。赤い目が頭に焼き付いて離れない。息が荒くなり、足がもつれそうになる中、私は必死に家を目指した。
ようやく家の近くまで来た時、背後の足音がピタリと止んだ。安堵して振り返ると、そこには誰もいない。ただ、道の端に小さな石碑が立っているのが目に入った。苔むしたその石碑は、普段なら気にも留めないものだ。だが、この夜はなぜか異様に存在感を放っていた。
家に着き、ドアを閉めた瞬間、全身の力が抜けた。汗で服がびっしょりだ。落ち着こうと水を飲んでいると、ふと母が昔話していたことを思い出した。「この辺りには昔、子泣き爺って妖怪が出るって言われてたよ。小さくて赤い目をしたお爺さんが、夜道で人を驚かせて遊ぶんだって」。私は笑いものだと思っていたが、今夜の出来事を考えると背筋が凍った。
翌朝、恐る恐る昨夜の道を確かめに行った。石碑の近くには、特に何もない。ただ、よく見ると石碑の周りに小さな足跡がいくつも残っていた。子供の足より少し小さく、妙に細長い形だ。風で消えたはずの足跡が、なぜかそこだけ残っている。不思議に思いながら写真を撮ったが、家に帰って見返すと、足跡の横に赤い目のような光が映り込んでいた。慌てて写真を削除した。
それ以来、私は夜遅くに外を歩くのをやめた。だが、時折、家の中から「カサッ、カサッ」という音が聞こえることがある。窓の外を見ても何もいない。でも、あの赤い目がまだどこかで私を見ている気がしてならない。