10年前の夏、静かな田舎町で暮らす若い女性がいた。彼女は地元の小さな図書館で働き、穏やかな日常を送っていた。だが、ある夜から彼女の生活は一変した。
その夜、彼女は図書館の閉館後、遅くまで残って書類を整理していた。外は真っ暗で、森に囲まれた町の静けさだけが辺りを包んでいた。時計はすでに深夜0時を回っていた。彼女は疲れ果て、そろそろ帰ろうと準備を始めたとき、遠くから聞こえる奇妙な音に気付いた。最初は風の音かと思ったが、段々はっきりと、人間の声のような囁きが聞こえてきた。「来い…来い…」と、森の奥から呼びかけるような声が繰り返されていた。
恐怖を感じながらも、好奇心に駆られた彼女は、図書館の窓から外を覗いた。月明かりの下、森の入り口付近に人影のようなものが揺れているのが見えた。だが、近づくにつれてその姿は消え、代わりに冷たい風が窓ガラスを叩いた。彼女は慌てて図書館の鍵を閉め、急いで家路についた。
次の日、彼女は昼間に町の人々にその話をした。しかし、誰も信じようとせず、「疲れすぎじゃない?」と笑われた。だが、その夜もまた同じ囁きが聞こえた。今度は自宅の庭から。窓の外を覗くと、以前見た人影が今度は家の近くに立っているように見えた。彼女は叫び声を上げ、近所の人を呼んだが、誰もその人影を見なかった。
数日後、彼女は勇気を出して森へ入ることを決意した。地元の人々は「昔から森には入るな」と言っていたが、彼女は真相を知りたかった。森の中は予想以上に暗く、木々が彼女を包み込むように立ち並んでいた。しばらく進むと、またあの囁きが聞こえた。今度は近くで、「ここにいる…」と、まるで耳元でささやくような声だった。振り返ると、背後に誰もいないのに、足元には古びた人形が転がっていた。人形の目は黒く、どこか人間の目を見ているようで、彼女はぞっとしてその場を逃げ出した。
その日から、彼女は毎晩のように奇妙な夢を見るようになった。夢の中では、森の奥で白い服を着た人々が彼女を呼び、笑い声が響き渡る。目が覚めると、部屋の隅に人形が置かれていることがあった。最初は1つだった人形が、日に日に増え、ついには部屋中が人形で埋め尽くされた。彼女は恐怖に震え、町の神社に相談に行ったが、巫女はただ静かに言った。「あそこには触れてはいけないものがいる。もう戻らないで」。
しかし、恐怖は止まらなかった。ある夜、彼女は目が覚めると、ベッドの横に立っている人影を見た。その姿は以前のものとは違い、顔がなく、黒い霧のような形をしていた。彼女は叫び、逃げようとしたが、部屋のドアが突然閉まり、鍵が外側からかかっていた。囁きは今や部屋中に響き、「お前もここにいるべきだ」と繰り返した。
翌朝、近所の人々が彼女の家を訪ねると、部屋は無惨に荒らされ、彼女の姿はどこにもなかった。ただ、部屋の中央にはあの古びた人形が1つだけ残されており、その人形の周囲には小さな足跡のようなものが無数に散らばっていた。町の人々はそれを見て震え上がり、以来、誰もその森には近づかなくなったと言われている。
彼女の行方は今もわからず、森の奥からは時折、遠くで囁きが聞こえるという。地元の人々は、「あそこにはもう戻れない魂がさまよっている」と語り、夜道を急ぐようになった。彼女の恐怖は、静かな町に永遠の影を落とした。