今から数年前、神奈川県のとある静かな住宅街に住む男が、仕事帰りの深夜に奇妙な体験をした。彼は普段、終電を降りてから家まで歩いて帰るのだが、その日はいつもと少し違っていた。空は雲に覆われ、街灯の光もどこか頼りなく感じられた。男は疲れていたが、いつものように駅を出て、近道のために使っている小さな踏切を渡ろうとした。
その踏切は、昼間は近隣住民や学生がよく使うが、夜になると人通りがほとんどなくなる場所だった。踏切の警報音が鳴っていないことを確認し、男は線路を渡り始めた。すると、ふと視界の端に何かが動いたような気がした。立ち止まって辺りを見回したが、何も見えない。気のせいかと思い、再び歩き出した瞬間、背後からかすかな足音が聞こえた。
振り返ると、そこには誰もいなかった。しかし、足音は確かに聞こえたのだ。不安が募り、男は急いで踏切を渡り終え、振り返らずに家まで走った。家に着いたとき、彼は汗だくだったが、安堵感に包まれた。だが、その夜、彼は妙な夢を見た。夢の中で、彼は再びあの踏切に立っていた。そして、線路の向こう側に、ぼんやりとした人影が見えた。その人影は、まるでこちらを見つめているようだったが、顔ははっきりと見えなかった。
翌日、男は同僚にその話をした。すると、同僚は少し顔を曇らせ、「その踏切、昔事故があったって噂があるよ」と教えてくれた。なんでも、数十年前にその場所で電車と人が衝突する事故があり、亡くなった人の霊が今も出るというのだ。男は半信半疑だったが、それ以来、夜にその踏切を使うのをやめた。
しかし、それで終わりではなかった。数週間後、男は再び仕事で遅くなり、仕方なくその踏切を通ることになった。月明かりが薄く辺りを照らす中、彼は恐る恐る踏切に近づいた。警報音は鳴っていない。線路を渡り始めたとき、再び視界の端に何かが動いた。今度ははっきりと見えた。それは、線路の向こう側に立つ黒い影だった。
影は動かず、ただじっとこちらを見つめているようだった。男は恐怖で足がすくみ、動けなくなった。すると、どこからかかすかな声が聞こえてきた。「…ここで…待ってる…」その声は、まるで風に混じって聞こえるような、か細いものだった。男は全身が震え、必死に走って家に帰った。
それ以降、男はその踏切を二度と通らなかった。だが、時折、夜中に目を覚ますと、どこか遠くからあの声が聞こえるような気がして、眠れなくなることがあったという。男はその体験を誰にも話さず、心の奥にしまっておくことにした。だが、時折、あの影が今も踏切で誰かを待っているのではないかと思うと、背筋が凍る思いがするのだった。