静岡の片田舎、そこにあったのは古びた中学校だった。校舎は木造で、ところどころに苔が生え、雨の日にはその音が校舎全体に響くような場所だった。
ある晩、当時中学二年生の少年は、夏休みの宿題を終わらせるため、夜遅くまで学校に残っていた。教室の明かりだけが灯る中、机に向かって一人勉強していた。時折、窓の外から風の音が聞こえ、木々が揺れる影が教室の壁に映し出される。
宿題を終えようとしたその時、遠くから聞こえる足音が少しずつ近づいてくるのを感じた。最初は職員室の先生かと思ったが、音はどんどん大きくなり、しかも一歩一歩が重く、ゆっくりと近づいてくる。
少年は恐る恐る教室のドアを見つめた。足音は教室の前まで来たようだったが、そこで止まった。ドアノブがゆっくりと回され、しかしドアは開かなかった。少年の心臓はドキドキと早鐘を打つ中、足音は再び遠ざかり始めた。
その夜、少年は家に帰ってからもあの足音を忘れられず、次第に不思議な現象が学校で起こるようになった。まず、教室で一人になると必ず誰かの視線を感じるようになった。特に、窓辺に立っていると、外から何かがこちらを見つめているような気がした。
そして、ある日、図書室で本を探していると、突然背後から肩に手が置かれた。振り返ると、誰もいない。図書室の静寂に震えながら、少年はその場から逃げ出した。
しかし、最も恐ろしかったのは、校庭の隅にある古い井戸の話だった。学校の裏手、雑草に覆われたその井戸は、誰も近づかない場所だった。噂では、昔、そこに落ちた生徒が出てこなかったという。
ある日の放課後、少年は友人とその井戸の近くを通った。すると、井戸から何かが這い出てくるような音が聞こえた。友人たちは笑って去ったが、少年はその音を忘れられなかった。
次の日、少年は再び一人でその井戸の近くに行ってみた。すると、また同じ音が聞こえた。恐る恐る近づいて井戸を覗き込むと、水面には自分の顔が映るはずが、そこには見知らぬ誰かの顔が浮かんでいた。
その瞬間、少年は声も出せずに逃げ出した。その日から、彼は学校に行く度に、どこからか見られているような感覚と、足音が追ってくるような錯覚に悩まされ続けた。
数年後、成人した彼は故郷を訪れ、その学校をもう一度見に行った。校舎は取り壊され、新しい建物が立っていたが、井戸だけはまだ残っていた。近づくと、再びあの足音が聞こえた。彼は今度こそその謎を解明しようと決意し、井戸に近づいた。
しかし、何も起こらなかった。ただ、風が吹く音だけが聞こえ、静寂が広がるだけだった。井戸を見つめながら、彼は思った。「あの恐怖は、自分の中でしか存在しなかったのかもしれない」と。それでも、彼の心のどこかでは、あの足音がいつかまた聞こえてくるのではないかという不安が、ずっと残り続けていた。