静岡の山奥に位置する小さな集落では、夜になると不思議なことが起こると言われていた。特に、今から20年前のある冬の夜に起きた出来事は、地元の人々の間で今も語り継がれている。
その夜は、雪が降り積もり、辺り一帯が白一色に染まっていた。ある若い女性が、友人の家から帰る途中、深夜の山道を歩いていた。彼女は友人と別れ、帰路につくために、普段はほとんど人が通らない細い山道を選んだ。雪が降りしきる中、彼女の足取りは重かったが、家に帰るためにはこの道を通るしかなかった。
山道の途中、彼女は一人の老人に出会った。老人は黒いコートを着て、手には提灯を持っていた。その提灯の光が、雪と闇の中で不気味に揺れていた。老人は無言で彼女の前に立ちはだかり、その目は深く沈んで見えた。
「どうしたんですか?」と、彼女が尋ねると、老人はゆっくりと口を開いた。「この道を行くなら、気をつけた方がいい。ここには、夜になると出るものがあるからね。」その言葉に、彼女は一瞬背筋が冷たくなったが、勇気を振り絞って「何が出るんですか?」と尋ねた。
老人は少し間を置いてから、「それは、昔この山で遭難して亡くなった人たちの魂だ。特に、雪の夜は彼らが現れやすい。もしも、何かを感じたら、決して振り返ってはいけない。そうしたら、無事に帰れる。」と語った。
彼女はその言葉を胸に刻み、老人に礼を言ってその場を離れた。しかし、道中、背後から誰かの足音が聞こえるような気がしてならなかった。雪の音と風の音だけが聞こえるはずの静寂の中で、彼女は何度も振り返りたくなる衝動に駆られたが、老人の忠告を思い出し、必死に前に進んだ。
家にたどり着いたとき、彼女はほっと胸をなで下ろした。振り返らずに道を進めたおかげで無事に帰れたのだろうか。しかし、玄関を開けた瞬間、彼女の目に映ったのは、彼女の家ではなく、古びた小屋だった。彼女は驚き、慌てて外を見ると、そこはまだ山の中だった。
恐怖に駆られながらも、彼女は再び歩き出した。そして、何度目かの試みで、ようやく自分の家に辿り着いた。後日、彼女はその道を昼間に再び訪れたが、老人の姿も、提灯の痕跡も何も見つからなかった。
その後、彼女はあの夜の出来事を誰にも話さなかったが、地元の人々の間では、夜にその山道を歩くと、時折見知らぬ老人や提灯の光が見えるという噂が存在していた。彼女の体験は、その噂の一つとして、今も静岡の冬の夜に語り継がれている。