大正時代の初め、ある寒々とした冬の夜のことだった。山間に囲まれた小さな村に、一人の若い男が住んでいた。彼は村はずれの古い家を相続し、その家には年代物の井戸があった。
その井戸は、村の人々の間で「怨霊の井戸」と呼ばれていた。夜になると、井戸から奇怪な声が聞こえるという噂があった。だが、若い男はそんな迷信を信じていなかった。
ある晩、男は仕事から帰ってきた後、井戸の水を汲もうと外に出た。夜空には月も星もなく、暗闇が辺りを包んでいた。彼はランプを手に井戸の縁に近づくと、底知れぬ深さから冷たい風が吹き上げてきた。
「こんなに寒いのに、風か…」とつぶやきながら、男はバケツを下ろした。すると、井戸の中からかすかな声が聞こえた。「助けて…」「誰か…」という、まるで何者かが助けを求めているかのような声だった。
男は一瞬驚いたが、すぐに自分に言い聞かせ、「これも風のせいだ」と納得しようとした。しかし、その夜から、彼の生活は変わった。毎晩、井戸から聞こえる声は大きくなり、夜中に彼の夢にまで侵入してきた。
夢の中では、井戸の底から無数の手が伸びてきて、彼を引きずり込もうとする。その手は冷たく、死者のような青白い色をしていた。恐怖で覚醒すると、男は布団から身を起こし、心臓の鼓動が耳元で鳴り響くのを感じた。
ある夜、耐えきれなくなった男は、井戸を埋めることを決意した。翌朝、村人たちの助けを借りて、井戸を埋め始めた。スコップが地面を叩く音が響く中、男は異常なほどの重圧を感じた。そして、井戸の底から何かが出てきた。
それは、長い黒髪に覆われた、白い着物を着た女の亡霊だった。彼女は口を大きく開け、怨嗟の叫び声を上げた。村人たちは驚愕し、一目散に逃げ出した。男は動けず、ただ見つめることしかできなかった。
しかし、その瞬間、陽が昇り、亡霊は消えた。井戸は埋められ、男はその家を出る決意をした。村の人々はその後も、夜になると、かつて井戸があった場所から奇怪な声が聞こえると話すようになった。そして、その場所は今も「怨霊の土地」と恐れられ、誰も近づかない。
この話は、富山の山奥で口コミで語り継がれており、今でもその恐怖が人々の心に残っていると言われている。