千葉県の片田舎にある小さなアパートで、私は一人暮らしを始めた。都会の喧騒から逃れて、自然に囲まれた場所で静かな生活を送るつもりだった。アパートの管理人は、少し年配の女性で、彼女はいつも優しく笑顔で迎えてくれた。
最初の数週間は平和だった。だが、その静けさが次第に不気味さに変わっていった。夜になると、どこからともなく足音が聞こえてくるのだ。最初は隣の部屋の住人が夜遅くに帰ってくるのだろうと思っていた。だが、隣の部屋には誰も住んでいなかった。
ある夜、特にその足音が酷かった。リズムもなく、まるで足を引きずるような音だった。私は勇気を出してドアを開け、廊下を覗いた。だが、誰もいなかった。足音はそのまま続き、まるで壁の中を歩いているかのようだった。
次の日、管理人にそのことを尋ねた。彼女の笑顔が一瞬曇ったのを見逃さなかった。「ああ、あの足音ね…」彼女は少し考えるように目を伏せた。「昔、このアパートで一人暮らしをしていた女性がいたの。彼女はある日、突然行方不明になったんです。それ以来、夜中に足音が聞こえるようになったんですよ。」
私はその話を半信半疑で聞いていたが、その夜、またあの足音が聞こえた。今度はさらに近く、部屋の中で聞こえるかのようだった。心臓が早鐘を打ち、恐る恐る部屋を見回すと、クローゼットのドアが少し開いているのが見えた。
ゆっくりとクローゼットに近づき、そのドアを開けた瞬間、冷たい風が吹き抜けた。そこには、何もなかった。だが、足音はクローゼットから聞こえていた。まるで私の視線を感じて、何かが逃げ込んだかのようだった。
その後、私は数日間殆ど眠れなかった。足音は毎晩のように聞こえ、時には声まで聞こえるようになってきた。まるで助けを求めるような、しかしどこか絶望的な声だった。
ある晩、耐え切れずに友人を家に呼んだ。友人はあの足音を信じず、ただの気のせいだと言った。しかし、その夜も足音は響き渡った。友人の顔から笑みが消え、驚愕の表情で私を見つめた。「本当に聞こえる…」
その後、私たちはアパートの歴史を調べ始めた。そして、管理人の話が正しかったことを知った。行方不明の女性は、精神的な問題を抱えていたらしい。そして、その足音は彼女の最後の足跡だったのかもしれない。
結局、私はそのアパートを出る決意をした。引っ越しの日、管理人は私に一冊の古い日記を手渡した。「これはあなたが住んでいた部屋で見つかったもの。彼女のものだと思うわ。」日記には、彼女の孤独と絶望が綴られていた。そして最後のページには、「足音を追ってください…」という一文が残されていた。
今でも時折、その足音を思い出す。静寂の中で響く、あの不気味な足音を。そして、私はいつも思う。あの足音は本当に何かを求めていたのか、それともただ私を恐怖に陥れるためだけのものだったのか?