古井戸からの声

怪談

大正時代の岡山県、ある農村に一軒の古い家があった。その家は代々、村の名家として知られ、屋敷の裏には古い井戸があった。

その井戸はただの水源ではなく、村の人々が何かと噂する怪しげな場所でもあった。日が沈むと、井戸から不気味な声が漏れ聞こえるというのだ。

ある晩、村で一番好奇心旺盛な少年がその井戸を調べようと決心した。月明かりだけが頼りの夜、少年は手に提灯を持ち、そっと井戸に近づいた。井戸の縁に腰を掛け、息を殺して耳を澄ますと、確かに何かが聞こえた。それは子供の泣き声のようにも、女のささやき声のようにも聞こえた。

少年は勇気を振り絞り、井戸の中に提灯を下ろしてみた。提灯の光が井戸の底に届くと、水面に何かが映った。驚いたことに、それは少年の顔ではなかった。そこに映っていたのは、見知らぬ女の顔だった。彼女の目は絶望に満ち、口元は何かを訴えかけるかのように開かれていた。

突然、井戸から冷たい風が吹き上げ、提灯の火が消えた。その瞬間、井戸から聞こえたのは「助けて…」という声だった。少年の心臓が止まるかと思うほどの恐怖に包まれ、慌てて家に逃げ帰った。

翌朝、村人たちが井戸を調べたが、何も見つからなかった。ただ、井戸の水はいつもより冷たく、底知れぬ暗さを増していたという。

それから何年も経ち、少年も大人になった。しかし、一度だけ井戸の底から見たあの女の顔は、決して忘れられなかった。村で井戸から声が聞こえるという話は、今も時折囁かれている。

大人になった彼は、ある日、古い資料を調べていたところ、その井戸にまつわる古い記録を見つけた。それによると、数百年前、この井戸に落ちて亡くなった女性がいて、彼女の霊がこの井戸に縛られているとされていた。村の人々はその悲劇を忘れようとしたが、井戸はその記憶を今も守り続けているようだ。

今もなお、月明かりの夜に、井戸からは不気味な声が聞こえるという。それは、助けを求める声なのか、それとも警告なのか。村に住む者たちは、夜が更けると決して井戸に近寄らない。

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