それは今から30年前のこと。都心から少し離れた、古いアパートの一室で起こった出来事だ。
私は当時、大学生でバイトを掛け持ちしながら生活していた。そのアパートは家賃が安く、しかも駅からも近かったので、金銭的に余裕のない私にとっては天からの贈り物だった。しかし、安い理由はすぐにわかった。
引っ越してからの一週間は特になにも起こらなかったが、ある夜のこと、深夜に目が覚めた。時計を見ると午前2時を過ぎていた。部屋の中は真っ暗で、窓から漏れる月明かりだけが唯一の光源だった。その瞬間、私は何かが部屋の中にいるような気がした。
視線を感じた。見えない何かが、私の存在をじっと見つめているかのように。恐る恐るベッドから起き上がり、部屋の明かりをつけようとしたが、スイッチはなぜか反応しなかった。暗闇の中、私は冷や汗をかきながら、部屋の隅に何かがいるのを見つけた。
それは人間の影に似ていたが、どこか異様だった。足がない。まるで浮いているかのように、壁にぴったりくっついている。その影はゆっくりと動き出し、私に向かってくるのを感じた。心臓が爆発しそうなほど早鐘を打ち、息ができなくなった。
その影が近づくにつれて、部屋の温度が急激に下がり、息が白く見えるほどだった。恐怖で動けなくなった私は、必死に目を閉じた。すると、耳元で低い、しかしはっきりとした声が聞こえた。「お前はここにいるべきではない」
その瞬間、私は叫び声を上げた。叫び声が部屋中に響き渡るのと同時に、影は消え去った。部屋の明かりが再び点灯し、何事もなかったかのように静寂が戻った。しかし、その声と影の感覚は脳裏に焼き付いて離れなかった。
その後、私はあの部屋での生活を続けることができなかった。友人に相談し、他の場所へ引っ越すことを決めた。だが、あの影と声は、ときどき夢に現れ、今も私を恐怖させる。
後日、調べてみると、そのアパートでは過去に悲劇的な事件が起きていたことがわかった。どこかで見たことのあるような、都市伝説のような話だったが、あの体験の生々しさは本物だった。あの場所の闇に潜む何かが、私にその存在を知らせるために現れたのかもしれない。