鏡の沼の幽霊

鏡の沼の幽霊 実話怪談
鏡の沼の幽霊

私の話は、岐阜県の奥地、飛騨の深い森で体験した恐ろしい出来事についてです。私は自然写真家で、特に夜間の森の神秘的な美しさを撮影するのが好きでした。数年前の秋、紅葉が最も美しい時期に飛騨の山奥へと足を運びました。

旅の準備をしながら、地元の人々から警告を受けたことを覚えています。飛騨の森には、何百年も前から伝わる怪異があると。彼らは夜になると森に入らない方がいいと言いました。特に、ある場所に近づくと「森の主」が現れると噂されており、それは決して人間に好意的な存在ではないのだと。

警告を聞きながらも、私は好奇心からその「場所」を訪れようと決めました。カメラと三脚、そして懐中電灯を持って、日が沈む前に森に入りました。森の奥へ進むにつれて、空気が変わるのがわかりました。冷たく、まるで何かが見つめているような感覚。鳥のさえずりも聞こえなくなり、静寂が支配していました。

夜が深まると、私は目的地に近づいていました。そこは小さな沼地で、地元の人々が「鏡の沼」と呼ぶ場所です。水面に映る星空は美しく、私は早速撮影を始めました。しかし、突然、風が吹き始め、木々が不気味に揺れ動きました。それは自然の風とは思えない、まるで何かが私を追い立てるかのような風でした。

そして、私は見ました。沼の向こう側から、ゆっくりとこちらに近づいてくる白い影を。それは人間の形をしていましたが、足下には水面が広がっており、歩いているわけではありませんでした。近づくにつれて、その姿がはっきりし、背筋が凍りつくような恐怖が襲ってきました。それは、顔のない、ただ白い布をかぶったような存在でした。

声を出せませんでした。何かが喉を締め付け、全身が固まりました。そして、その影が私の前に立ち止まると、何かが耳元で囁かれるような感覚がありました。冷たい、しかし明確な声で「帰れ」と言われた気がしました。

その瞬間、私は我に返り、何もかも放り出して逃げ出しました。懐中電灯も、カメラも、三脚も全てそこに置き去りにして。森の中を必死に駆け抜け、ようやく森の外に出た時には、全身が震え、息が上がっていました。

翌日、地元の人々にその話をすると、彼らは知っていたかのように頷きました。鏡の沼は、何百年も前にそこで亡くなった村人の魂が宿っているとされ、夜に近づくものを追い払う役目を持っているのだと。私が置き去りにしたカメラや機材は、二度と見つからなかったそうです。

今でもその夜の恐怖は鮮明に思い出します。飛騨の森は、見た目に反して何か恐ろしいものが潜んでいるのかもしれません。自然の美しさを撮ることは私の仕事ですが、あの森に再び足を踏み入れることは決してないでしょう。あの体験は、私に自然への畏怖と、知られざる世界への想像力を教えてくれました。

この体験談は、自然と人間との深い関係性、そして我々が知らない世界への一端を垣間見るものです。東海地方の自然は、美しさと共に、時として恐ろしい力をも秘めていることを、私は身をもって学びました。

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