黒い影が棲む廃校の闇

廃墟

富山の山奥、静かな集落にひっそりと佇む廃校がある。かつては子供たちの笑い声が響いていたその場所は、今や朽ち果て、苔むしたコンクリートと錆びた鉄柵に覆われている。地元では「入るな」と囁かれ、夜になると誰も近づかない。そこには、何か得体の知れないものが潜んでいるという。

数年前、俺は大学の友人たちと肝試しにその廃校へ足を踏み入れた。メンバーは俺を含めて四人。リーダー格の陽気な男、いつも冷静な理系男子、怖がりだけど好奇心旺盛な女子、そして俺だ。夏の夜、じめっとした空気が肌にまとわりつく中、懐中電灯を手に廃校の門をくぐった。

「こんなとこ、ただの廃墟だろ。幽霊なんて出ねえよ」とリーダーが笑いながら言ったが、その声はどこか強がりに聞こえた。門を越えると、風が急に冷たくなり、背筋にぞくりと寒気が走った。校庭には雑草が生い茂り、壊れたブランコが軋む音だけが響く。校舎の窓はほとんどが割れ、黒い穴のようにこちらを見つめているようだった。

校舎の中に入ると、空気はさらに重くなった。埃っぽい匂いと、どこか湿った腐臭が混じる。廊下の床は剥がれたリノリウムがめくれ上がり、足音が不気味に反響する。懐中電灯の光が壁を照らすたび、剥がれた塗料や落書きが浮かび上がり、まるで誰かがそこにいた痕跡のようだった。

「ねえ、なんか変な感じしない?」と女子が小声で言った。彼女の手が震えているのが分かった。俺も同じだった。胸の奥で何かざわざわする感覚が広がっていく。リーダーは「ビビんなよ!」と笑いながら先頭を歩いていたが、その足取りはさっきより慎重だった。

一階の教室をいくつか覗いた後、理系男子が「二階行ってみね?」と提案した。階段は木製で、踏むたびにギシギシと不気味な音を立てた。懐中電灯の光が届かない暗闇が、まるで生き物のように蠢いている気がした。二階に着くと、長い廊下が左右に伸び、突き当たりに大きな鏡があった。鏡の表面は曇り、ところどころひび割れている。なぜかその鏡を見た瞬間、誰もが立ち止まった。

「これ、なんかヤバそうじゃね?」とリーダーが呟いた。冗談めかした口調だったが、声がわずかに震えていた。女子は「やだ、戻ろうよ」と訴えたが、理系男子が「せっかくここまで来たんだから」と鏡に近づいた。俺もついていったが、心臓が早鐘を打っていた。

鏡の前に立つと、反射した俺たちの姿が歪んで見えた。光の加減か、それとも鏡自体のせいか。だが、その時、鏡の奥に何かが見えた。俺たちの背後に、黒い影のようなものが立っていた。振り返ったが、誰もいない。なのに、鏡の中には確かにその影が映っている。背が高く、輪郭がぼやけた、人の形をした何かだ。

「何!? 何これ!?」女子が叫び、懐中電灯を落とした。光が床を転がり、影が揺れる。リーダーが「落ち着け! ただの錯覚だ!」と叫んだが、彼の声も上ずっていた。理系男子が鏡をじっと見つめ、「動いてる…」と呟いた。その瞬間、鏡の中の影がゆっくりと手を伸ばしてきた。まるで俺たちを引きずり込もうとするように。

パニックになった俺たちは階段を駆け下り、出口を目指した。だが、廊下はさっきより長く感じられ、まるで校舎自体が俺たちを閉じ込めようとしているようだった。背後から、足音ともつかない不気味な音が追いかけてくる。振り返る勇気は誰にもなかった。

ようやく校庭に出た時、女子が泣きながら「何かいた! 絶対何かいた!」と叫んだ。リーダーは「もういい、帰るぞ!」と息を切らしながら車に飛び乗った。車を走らせながら、誰もが無言だった。後部座席の窓から廃校を見た時、校舎の二階の窓に、黒い影が立っているのが見えた。じっとこちらを見つめるように。

それから数日後、異変が起きた。リーダーが「夜中に誰かがドアを叩く」と言い出した。理系男子は「鏡を見るたびに何かが見える」と怯え、女子は「寝ている時に誰かが囁く」と精神的に不安定になった。俺も、夜中にふと目が覚めると、部屋の隅に黒い影が立っている気がして眠れなくなった。

地元の古老に相談すると、廃校には過去に悲惨な事件があったという。数十年前、教師が精神を病み、校内で命を絶った。その後、校舎には不思議な現象が頻発し、やがて閉鎖された。「あの鏡は、死者の魂を閉じ込める」と言われていると、古老は真顔で語った。

俺たちは二度とあの廃校には近づかなかった。だが、今でも時折、背後に誰かがいるような気配を感じる。鏡を見るとき、つい奥を覗き込んでしまう。そして、いつも思う。あの夜、俺たちは何かを持ち帰ってしまったのではないか、と。

今、富山の山奥にその廃校はまだある。誰も近づかず、夜になると不気味な気配が漂う。もし、君が好奇心に駆られてそこへ行くなら、鏡だけは見ないでくれ。そこには、君を待ち構える黒い影がいるかもしれない。

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