深夜の教室に響く足音

学校

石川県の山間部に、ひっそりと佇む古い学校があった。木造の校舎は、長い年月を経て黒ずみ、昼間でもどこか薄暗い雰囲気を漂わせていた。この学校には、昔から奇妙な噂が絶えなかった。特に、夜の校舎にまつわる話は、子供たちの間で囁かれ、誰もが恐れをなしていた。

ある夏の夜、肝試しをしようと集まった中学生のグループがいた。メンバーは五人。リーダー格の少年、気弱な親友、好奇心旺盛な少女、冷静な優等生、そして無口な転校生だ。彼らは「誰もいない夜の校舎に入る」という挑戦に興奮していたが、心のどこかで恐怖も感じていた。校舎の裏門は古く、錆びた鎖が緩くかかっているだけだった。懐中電灯を手に、少年たちは鎖をくぐり抜け、校舎の裏口へと向かった。

校舎の中は、昼間とはまるで別世界だった。廊下は湿った空気に満ち、床板が足音のたびに軋んだ。懐中電灯の光が、剥がれかけた壁紙や埃まみれの掲示板を照らし出す。少女が「なんか、変な匂いしない?」と囁くと、親友が震える声で「やめろよ、怖いこと言うなって」と答えた。だが、リーダー格の少年は強がって笑い、「ビビってんじゃねえよ。なんもねえって」と先頭を歩いた。

一階の教室をいくつか覗いた後、彼らは二階へ続く階段を見つけた。階段は異様に暗く、懐中電灯の光すら飲み込まれそうなほどだった。優等生が「ここ、なんかヤバい雰囲気だね」と呟いたが、少年は「ビビんなよ、ただの階段だろ」と言い、率先して登り始めた。だが、階段を登るたびに、どこからか微かな音が聞こえてきた。カツ、カツ、という、硬い靴が床を叩くような音だ。

「何だ、この音?」親友が怯えた声で言った。少女も「私も聞こえた! 誰かいるんじゃない?」と目を丸くした。少年は「ただの反響だろ。古い建物だから」と強がったが、彼の声にもわずかな震えが混じっていた。転校生だけが無言で、じっと暗闇を見つめていた。音は一瞬止まったが、彼らが二階の廊下に足を踏み入れた瞬間、再び響き始めた。カツ、カツ、カツ。今度ははっきりと、すぐ近くから聞こえてくる。

「やばい、誰かいる!」少女が叫び、親友は「帰ろう、な? もうやめよう!」と懇願した。だが、少年は「逃げんなよ! ちょっと確認するだけだ!」と強引に皆を引っ張り、音のする方向へ進んだ。廊下の突き当たりに、古い音楽室があった。扉は半開きで、隙間から冷たい風が漏れていた。少年が恐る恐る懐中電灯を向けると、室内は真っ暗で、埃まみれのピアノと散乱した楽譜が光に浮かび上がった。

「誰もいねえじゃん」と少年が安堵の息をついた瞬間、背後でドン!と大きな音がした。振り返ると、廊下の奥で何かが倒れたような音だった。少女が悲鳴を上げ、親友は「もうダメだ、帰る!」と叫んで走り出した。だが、転校生が低い声で「動かないで」と呟いた。その声には、普段の無口な彼とは思えない迫力があった。全員が凍りついたように立ち止まり、転校生の視線を追った。

暗闇の廊下の奥、懐中電灯の光が届かない場所に、ぼんやりと白い影が浮かんでいた。人の形をしているが、輪郭がぼやけ、まるで霧のように揺らいでいた。影はゆっくりと近づいてくる。カツ、カツ、カツ。足音が一歩ごとに大きく、耳に突き刺さるように響いた。少女が「何あれ…何あれ!?」と泣き出し、優等生も「こんなのありえない…」と呟きながら後ずさった。

少年は「逃げろ!」と叫び、全員が一斉に階段へ向かって走り出した。だが、足音は彼らを追いかけるように速くなり、カツカツカツと不気味なリズムで迫ってきた。階段を駆け下りる途中、親友が転び、懐中電灯を落とした。光が消え、闇が一気に彼らを飲み込んだ。「助けて! 置いてかないで!」親友の叫び声が響く中、少年は必死に手を伸ばし、親友を引っ張り上げた。

やっとの思いで一階にたどり着き、裏口から外へ飛び出した。外の空気は冷たく、星空の下で彼らは息を切らしながら振り返った。校舎の二階の窓に、白い影が立っていた。顔は見えないが、じっとこちらを見つめているような気がした。足音は止まり、代わりに低い、呻くような声が聞こえてきた。「…帰れ…」。その声は、風に乗って彼らの耳に届いた。

その夜以来、少年たちは二度と夜の校舎に近づかなかった。だが、噂はさらに広がり、別の生徒たちが似た体験をしたという話が後を絶たなかった。ある者は、音楽室のピアノが勝手に鳴ったと言い、ある者は、廊下で子供の笑い声を聞いたと語った。学校の歴史を調べた教師によると、数十年前、音楽室で悲しい事件があったという。詳細は誰も知らないが、その事件以来、夜の校舎には「何か」が住み着いているのだと。

今でも、その校舎はひっそりと山間に佇んでいる。昼間は普通の学校だが、夜になると、どこからかカツ、カツ、という足音が響くという。あなたがもし、石川県の山奥で古い校舎を見かけたら、決して夜に近づかない方がいい。なぜなら、そこにはまだ「何か」が、帰れと囁きながら、彷徨っているかもしれないから。

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