深夜のトンネルに響く声

怪談

新潟県の山間部に住む俺は、普段から車で移動することが多い。仕事が終われば、家に帰るまで一本道をひたすら走るだけだ。山道は夜になると真っ暗で、街灯もまばら。対向車すら滅多に通らない。そんなある晩、いつものように車を走らせていたら、妙なことが起こった。

その日は残業で遅くなり、時計はすでに23時を回っていた。山道の途中に、古びたトンネルがある。地元じゃ「泣きトンネル」なんて呼ばれてる場所だ。昔、事故で死んだ女の霊が出るって噂があって、子供の頃は近寄るのも怖かった。でも大人になった今、そんな話は笑いものだと思ってた。トンネルに入ると、ヘッドライトがコンクリートの壁を照らし、エンジン音が反響する。いつもならそれだけの静かな空間だ。

でもその夜、トンネルの中盤に差し掛かった時、急に耳に違和感を覚えた。なんか、変な音がする。最初は風かと思ったけど、窓は閉めてるし、エアコンも切ってる。よく耳を澄ませると、それは声だった。女の声。低くて、掠れてて、何かをつぶやいてるみたいだ。ゾッとした。車内のラジオはつけてないし、スマホも助手席に置いたままだ。どこから聞こえてくるんだ?

スピードを上げてトンネルを抜けようとしたけど、声はどんどんはっきりしてくる。「…返して…返して…」って繰り返してる。心臓がバクバクして、手に汗がにじむ。バックミラーを見たけど、後ろには何もない。ただの暗闇だ。でも声は止まらない。トンネルの出口が見えた瞬間、声が急に大きくなって、「返せぇぇ!」って叫んだ。思わずアクセルを踏み込んで、トンネルを飛び出した。

外に出た途端、声はピタッと消えた。冷や汗が止まらなくて、しばらく路肩に停めて深呼吸した。なんだったんだ、あれ。錯覚か?疲れてただけか?そう自分に言い聞かせて、家に帰った。でもその夜、眠れなかった。頭の中であの声がリピートしてる気がして、布団の中で震えてた。

次の日、会社で同僚にその話をしたら、顔色が変わった。「お前、あのトンネルで何か見たのか?」って。俺は声だけだって答えたけど、同僚は黙ってしまった。しばらくして、ポツリと教えてくれた。昔、そのトンネルで事故があったのは本当で、若い女が死んだらしい。荷物を運んでたトラックが横転して、女は荷台に潰された。その荷物の中に、大事にしてた人形があったって話だ。死ぬ間際に「返して」って叫んでたって。

ゾワッとした。人形?俺、そんなもの持ってないし、見たこともない。でもあの声が頭から離れない。それから何日か経って、俺はまた夜にそのトンネルを通ることになった。怖かったけど、迂回路はない。意を決して車を走らせた。トンネルに近づくにつれて、手が震えだす。入り口に差し掛かった瞬間、深呼吸して覚悟を決めた。

トンネルに入ると、まただ。あの声が聞こえてくる。「…返して…」今度はハッキリ聞こえる。目を閉じたくなるのを我慢して、前だけを見て運転した。声はどんどん近づいてきて、耳元で囁いてるみたいだ。冷たい息が首筋にかかるような感覚までした。出口が見えた時、また叫び声が響いた。「返せぇぇ!」俺は叫び返した。「持ってねぇよ!」って。

トンネルを抜けた瞬間、静寂が戻った。車を停めて、震える手でタバコに火をつけた。冷静になろうとしたけど、無理だった。あの感覚、あの声、絶対に現実だった。錯覚なんかじゃない。それから俺は、夜にあのトンネルを通るのをやめた。遠回りでも別の道を使うようになった。でも、たまに夢に見る。あのトンネルの中で、暗闇から女が這い出てきて、俺の首に手を伸ばしてくる夢だ。

しばらくして、地元の爺さんから聞いた話で、さらに背筋が凍った。トンネルの近くに、昔、小さな祠があったらしい。事故の後、女の霊を鎮めるために建てられたけど、数年前に壊されてしまった。それから変な噂が増えたって。祠がなくなったせいで、霊が彷徨ってるのかもしれない。俺が聞いた声は、その女のものだったのか?

今でも思う。あの「返して」って言葉。あれは人形のことだったのか、それとも別の何かだったのか。俺には分からない。ただ一つ確かなのは、あのトンネルには二度と近づきたくないってことだ。でも、新潟の山奥で暮らす以上、いつかまた通らなきゃいけない日が来るかもしれない。その時、またあの声が聞こえたら…考えるだけで眠れなくなる。

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