深夜の廃校に響く足音

怪談

それは、ある夏の夜のことだった。

私がまだ大学生だった頃、友人数人と肝試しをしようと話が盛り上がった。場所は、埼玉県の郊外にある廃校。そこは10年ほど前に生徒数の減少で閉校になり、それ以来、地元でも不気味な噂が絶えない場所だった。『夜になると誰もいない校舎から笑い声が聞こえる』とか、『窓に人影が映る』なんて話が、飲み会の席で飛び交っていた。私たちは半信半疑だったが、好奇心と若さゆえの勢いで、その夜のうちに向かうことにした。

車を走らせてたどり着いたのは、時計が深夜0時を回った頃。廃校の周囲は雑草が生い茂り、街灯もない田んぼ道にぽつんと建つ校舎は、月明かりに照らされて不気味なシルエットを浮かび上がらせていた。鉄製の門は錆びつき、隙間から敷地内に侵入するのは簡単だった。私たちは懐中電灯を手に持ち、ぞろぞろと校舎へと近づいた。

「本当に何も出ないかな?」

友人の一人が冗談めかして言ったが、その声にはどこか緊張が混じっていた。私も正直、心臓がドキドキしていた。校舎の玄関に近づくと、ガラスが割れた窓から風が吹き抜け、かすかに「ヒュウ」と音を立てていた。ドアは半開きで、埃っぽい空気が漂ってくる。中に入ると、床に散らばった古い教科書や壊れた机が、まるで時間が止まったかのように放置されていた。

私たちは2階を目指すことにした。階段を上るたび、木製の板がギシギシと軋み、その音が静寂の中で異様に大きく響いた。2階の廊下にたどり着くと、長い通路の先に真っ暗な教室がいくつも並んでいるのが見えた。月明かりが窓から差し込み、床に不規則な影を作り出していた。

「何か聞こえない?」

突然、隣にいた友人が小声で言った。私たちは一斉に立ち止まり、耳を澄ませた。最初は風の音かと思った。でも、よく聞くと、それは明らかに違う。遠くから、規則正しい「タッ、タッ、タッ」という音が聞こえてくる。足音だ。誰かが歩いているような、乾いた音だった。

「まさか、誰かいるの?」

別の友人が震える声で呟いた。私たちは互いに顔を見合わせたが、誰も動こうとしない。足音は徐々に近づいてくるようだった。懐中電灯を手に持つ私の手が、汗で滑りそうになる。すると、廊下の突き当たりにある教室の窓に、何かが映った。一瞬だったが、確かに人影のようなものが見えた気がした。

「見えた…あそこに何かいる!」

友人の一人が叫び、私たちは慌てて懐中電灯をその方向に照らした。でも、そこには何もなかった。ただの窓と、その向こうの暗闇だけ。だが、足音は止まらない。それどころか、どんどん近づいてくる。「タッ、タッ、タッ」。まるで私たちに向かって歩いてくるみたいに。

「やばい、逃げよう!」

誰かが叫んだ瞬間、私たちは我先にと階段へ駆け下りた。足音は追いかけるように背後から響き、階段を踏み外しそうになりながらも必死で逃げた。玄関を飛び出し、門をくぐり抜け、車に飛び乗った時には、全員が息を切らしていた。エンジンをかけ、急いでその場を離れると、ようやく足音は聞こえなくなった。

車内はしばらく沈黙に包まれた。誰もが放心状態だったが、やがて一人が口を開いた。

「なあ、あの足音…本当に誰かいたのかな?」

誰も答えられなかった。ただ、私には一つだけ確信があった。あの廃校にいたのは、私たちだけじゃなかった。あの足音は、確かに何者かのものだった。そして、それが何だったのかを考えるたび、今でも背筋が凍るような感覚に襲われる。

後日、地元の古老にその話をすると、彼は目を細めてこう言った。

「あの学校ではな、昔、ある先生が階段で足を滑らせて死んだんだよ。それ以来、夜になると足音が聞こえるって噂がある。気をつけなよ、あそこにはまだ何かいるかもしれないからな」

私たちは二度とその廃校に近づかなかった。でも、あの夜の足音は、今でも耳に残っている。深夜、目を閉じると、どこからか「タッ、タッ、タッ」と聞こえてくる気がして、眠れなくなる夜がある。あの音が、私たちを追いかけていたのか、それともただそこにいたのか。それだけは、永遠にわからないままなのかもしれない。

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