深夜の公民館に響く足音

実話風

それは、ある夏の夜のことだった。

私は岐阜県の山間部にある小さな集落に住む、当時20代半ばの会社員だった。実家暮らしで、仕事が終われば決まって地元の公民館に集まり、幼馴染たちと他愛もない話をしながら時間を潰すのが日課だった。公民館は古びた木造の建物で、昼間は子供たちの遊び場や地域の集会所として使われていたが、夜になると真っ暗で、虫の声だけが響き渡るような場所だった。

その日も、いつものように友人たちと公民館の縁側に座って缶ビールを飲んでいた。時計はすでに23時を回っていて、集落のほとんどの家は灯りを消していた。風が木々を揺らし、時折カサカサと葉擦れの音が聞こえる以外は、静寂が辺りを包んでいた。友人の一人が「そろそろ帰ろうか」と言い出したとき、どこからか奇妙な音が聞こえてきた。

トン、トン、トン。

それは、公民館の奥の方、普段は使われていない和室の方向から響いてくる足音だった。最初は誰かがふざけて歩いているのかと思った。でも、こんな時間に公民館に来るような人はいない。それに、私たち以外に鍵を持っているはずもないのだ。友人の一人が「何だよ、それ」と笑いものぞきに行こうとしたが、私はなぜか嫌な予感がして「やめとけ」と止めた。

すると、足音が少しずつ近づいてきた。

トン、トン、トン。

規則正しく、ゆっくりと、まるで誰かがこちらを確かめるように歩いてくる。縁側に座っていた私たちの背筋が凍りつく。友人の一人が懐中電灯を手に持って立ち上がり、公民館の入り口から中を照らした。光が廊下を照らすと、そこには誰もいなかった。でも、足音は止まらない。むしろ、どんどん大きくなってくる。

「誰かいるのか?」と友人が叫んだが、返事はない。ただ、足音だけが続く。トン、トン、トン。私たちは顔を見合わせ、どうすればいいのか分からなかった。すると、突然、足音が止まった。静寂が戻り、虫の声だけが聞こえる。私は少し安心しかけたが、次の瞬間、縁側のすぐ裏から別の音が聞こえてきた。

ガリガリ、ガリガリ。

何かが木の壁を引っ掻いているような音だ。私たちは一斉に振り返ったが、縁側の外は真っ暗で、何も見えない。懐中電灯を向けても、光が届く範囲には何もなかった。でも、音は止まらない。ガリガリ、ガリガリ。まるで何かが見えない力で壁を削っているようだった。

「帰ろう」と私が言うと、誰も反対せず、慌てて荷物をまとめて公民館を後にした。車に乗り込むまで、背中に冷たい視線を感じていた。家に着いてからも、あの音が耳から離れず、眠れない夜を過ごした。

翌日、友人たちと昨夜のことを話していると、一人が「あの公民館、昔何かあったらしいよ」と言い出した。詳しく聞いてみると、数十年前、その公民館で集落の誰かが首を吊ったことがあるという。それ以来、夜になると妙な音がするという噂が絶えなかったらしい。ただ、私たちはそんな話をそれまで聞いたこともなかったし、信じてもいなかった。

数日後、好奇心に駆られた私は昼間に公民館を訪れてみた。明るい時間なら怖くないだろうと思ったのだ。中に入ると、確かに古びた建物特有の湿った匂いがしたが、特に異常は感じなかった。奥の和室に近づくと、ふと床に目をやった。そこには、薄っすらと爪のような跡がいくつも残っていた。まるで誰かが這うようにして移動したような、不自然な傷だった。

ぞっとした私は、急いで公民館を出た。それ以来、私は夜に公民館に近づくことはなくなった。でも、時折、集落の誰かが「あの夜、また足音が聞こえた」と言うのを耳にするたび、あの夏の夜の出来事が脳裏に蘇る。

あれから10年近くが経ち、私はもうその集落には住んでいない。新しい生活の中で、あの夜のことは遠い記憶になりつつある。でも、静かな夜にふと耳を澄ますと、どこからかトン、トン、トンという足音が聞こえてくる気がして、今でも眠れないことがある。

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