今から数年前、私がまだ大学生だった頃の話だ。
夏休みを利用して、友人と京都府の古い町並みを巡る旅に出ていた。寺社仏閣を訪れ、抹茶スイーツを堪能し、夕暮れ時には鴨川沿いを散歩する。そんな穏やかな日々を過ごしていたある夜、私たちは祇園の辺りで軽く飲もうと、小さな居酒屋に入った。
その店は、細い路地裏にひっそりと佇む古びた木造の建物だった。提灯の明かりが薄暗く揺れ、どこか時代錯誤な雰囲気が漂っていた。店内に入ると、カウンターには年季の入った木の傷が目立ち、壁には古い写真や掛け軸が無造作に飾られている。客は私たち以外に誰もおらず、店主らしき老人が無言でグラスを磨いていた。
私たちはビールと簡単なつまみを注文し、他愛もない話をしながら時間を潰していた。時計の針が11時を回った頃、友人の一人が「そろそろ帰ろうか」と言い出した。確かに、翌日は早朝から清水寺に行く予定だったし、宿に戻って休むのが賢明だろう。私たちは会計を済ませ、店を出た。
外に出ると、昼間の喧騒が嘘のように静まり返った祇園の路地裏が広がっていた。月明かりが薄く石畳を照らし、どこか不気味なほどの静寂が辺りを支配していた。私たちは宿のある方向へ歩き始めたが、すぐに異変に気づいた。路地の奥から、微かだが確かに聞こえてくる足音。カツン、カツン、と規則正しく響くそれは、下駄のような音だった。
最初は「誰か地元の人が歩いてるだけだろ」と笑いものだった。だが、歩く速度を速めても、足音は一定の距離を保つように追いかけてくる。振り返っても誰もいない。ただ、暗闇の中にぽつんと浮かぶ街灯の明かりが、妙に不自然な影を落としているように見えた。
「ちょっと気持ち悪いな…」と友人の一人が呟いた瞬間、足音が急に途切れた。ほっとしたのも束の間、今度は別の音が聞こえてきた。女の声で、低く、掠れたような笑い声。それはまるで、誰かが喉の奥で無理やり笑いを押し殺しているような、不気味な響きだった。
私たちの足は自然と速くなった。路地を曲がり、さらに曲がり、ほとんど走るような速さで宿を目指した。だが、どれだけ進んでも、笑い声は微かに、だが確かに耳に届き続ける。まるで、私たちのすぐ背後にいるかのように。
ようやく宿の近くまで来たとき、私は勇気を振り絞って一度だけ振り返った。すると、遠くの路地の角に、ぼんやりと白い着物を着た女が立っているのが見えた。顔は暗くて見えないが、長く伸びた髪が風もないのに揺れているようだった。彼女がこちらを見ている気がして、背筋が凍る思いがした。
宿に駆け込んでドアを閉め、鍵をかけた瞬間、ようやく笑い声は聞こえなくなった。私たちは顔を見合わせ、誰もが青ざめていた。「何だったんだ、あれ…」と誰かが呟いたが、答えられる者はいなかった。
翌朝、宿の女将に昨夜のことを話してみると、彼女の顔が一瞬曇った。「あんたたち、祇園の裏路地を夜遅く歩いたの?」と聞かれ、頷くと、彼女は小さくため息をついた。「あそこは昔、遊郭があった場所でね。いろんな恨みや悲しみが染みついてるって言うのさ。特に、丑三つ時に出歩くもんじゃないよ」と。
その言葉を聞いて、私たちはぞっとした。あの足音と笑い声は、何だったのか。まさか、恨みを抱えた霊が私たちを追いかけてきたのだろうか。それとも、ただの気のせいだったのか。結局、真相はわからないままだったが、あの夜の恐怖は今でも忘れられない。
それからというもの、私は京都を訪れるたびに、あの路地裏を避けるようになった。だが、時折、夢の中であの足音が聞こえることがある。カツン、カツン、と近づいてくる音。そして、掠れた笑い声が耳元で響くのだ。